きんたろうの掲示板

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ありがとうございます  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月20日(木)00時31分46秒   返信・引用  編集済
  それではできあがったらすぐに送りますね。

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

安部さんおすすめの  投稿者:hn2602  投稿日:2008年11月18日(火)23時43分10秒   返信・引用
   方を来年初めまで待って購入することにします。  

新刊  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月18日(火)18時43分49秒   返信・引用  編集済
  hnさん、ご注文ありがとうございます。

今回作りましたのは、同人誌販売会用に作ったもので、以前お買い上げいただいた第一話32ページにプラスして第二話40ページ、それと解説・登場人物紹介・後書きなどが8ページとなっています。

勇者ロトさんの小説ときんたろうさんのエッセイは入っていません。

A5版500円です。マンガのみご購入の場合は私の方から直接郵便で送付いたします。

マンガ第二話とロトさんの小説の続きと、きんたろうさんの金砂郷神社磯出大祭礼のレポート、飛鳥時代を舞台にした私の小説、それと某歴史愛好家のエッセー(交渉中)を掲載したものを年明けに作る予定です。

こちらはA4版で80ページぐらいになると思います。価格は以前と同じ800円を予定しています。

もうちょっと待って頂いてこちらをお買い上げいただくのがお薦めなのですが、どうしましょうか?



画像:踊りで天之日矛の油断を誘うナルメ(第四話くらいにこういうシーンを入れる予定です)
クリックで拡大

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

hnさん  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月18日(火)13時26分10秒   返信・引用
  今回のはまだ私も完成品を見ていません(^^ゞ

発送なのですが、代引だと送料手数料込みで630円が別にかかってしまいます。
本体(500円?)より高くなってしまうので悩みどころです(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

コミックの2巻目が  投稿者:hn2602  投稿日:2008年11月17日(月)23時29分47秒   返信・引用
  販売されていたのですか?
1冊私めにも、ご送付ください。着払いと言う事で宜しく。
 

大人の購買力?  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月17日(月)21時09分53秒   返信・引用  編集済
  きんたろうさん、勇者ロトさん、ありがとうございます。

狙ったわけではないのですが、今までは中高生向けのイベントばかりに参加していて、今回初めて成人男性向け(といってもアダルトばかりではありませんでした)のイベントに参加しました。

それと二冊目はA5にして500円にしました。それもあって、多くの方に買って頂けたみたいです。

あともう一つ、目の前にケバブ屋があって、客寄せになりました、匂いはすごかったけれど(^^;>

私が陣取った一角は他にも日本神話や歴史を題材にしたサークルが集まっていて、それに興味があるお客さんが集まっていました。けれども出雲神話を題材にした作品は珍しいらしく、興味津々で内容を尋ねてくれたお客さんもいました。

ネットで桜小径のことを知ってきてくれたとおぼしき人も数名いましたが、買ってくれた人の内少なくとも二人はその場で本を見て買う気になってみたいです(元々隣のサークルを目当てにしていたようなので)。確実に需要はあるみたいなので、ロトさん、きんたろうさん、これからも頑張りましょう!

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おっと  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月17日(月)08時32分9秒   返信・引用
  昨日だったのですね。
おまけの桜小径を送るつもりでいたのに、バタバタして失念しておりました(^^ゞ

五冊売れたのですね!!良かったです(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

おめでとうございます!!  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月17日(月)00時23分22秒   返信・引用
  自分の作品を買って貰うというのはとても嬉しいですよね!!
おめでとうございます。v(^o^)

続編への期待が高まります。
 

コミッククリエイション20にて  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月16日(日)23時03分19秒   返信・引用  編集済
  今日蒲田で開かれた同人誌発売イベント「コミッククリエイション20」にサークル桜小径として参加してきました。

そこで、な・な・なんと「出雲國譲りの真相」が5冊売れました。

同人誌販売会で売れたのは今日が初めてです。お買い上げくださった方、ありがとうございました。とても嬉しかったです。

次は2月と4月あたりのイベントに参加しようと思っています(冬コミは申込用紙をもらい損ねました_| ̄|○ )

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これもただの感覚ですが  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月16日(日)07時57分42秒   返信・引用
  日本人の心の故郷ということにされている「万葉集」、私も大好きですが、他の古典と比べて言葉の使い方が特殊な感じがします。あれって、日本の歴史でも例外的に外国人の比率が高かい場所であった飛鳥地方の一時的で例外な言葉だったのではなかろうか、そんな風に考えています。

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今で言うところの  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月16日(日)01時25分32秒   返信・引用
  カタカナ語みたいな感じで取り入れられたと思っているのが「〜でおじゃる」という言い方です。

これは、遣新羅使あたりを通じて、当時の「舶来物」の一種として流行した名残ではないでしょうか??
またまたトンデモですが、^^;;(自爆)

韓国語だと「ブラザー」と「ブラジャー」の区別が良くできないことから思いつきました。
 

古代人が好む地形  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月15日(土)19時32分37秒   返信・引用  編集済
  というのがあるのかどうか、古代から人が住んでいる場所というのはだいたい似た風景をしていますよね。なだらかな山があって、小川が流れていて、

茨城だと太田や友部のあたり、東京も多摩はそのような地形です。岡山の総社や中山のあたりはそんな感じです。

おそらく、古代は大河川を治水する力がなかったので、保水力があるなだらかな山から流れ出る小規模な河川が洪積平野に流れ出る始めのあたりの平野を選んで住んだのだと思います。急峻な山裾を開発しなかったのは、雨が降ったときに洪水になりやすいからでしょう。
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さようなら  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月13日(木)22時11分30秒   返信・引用
  普通に考えれば、左様ならば(そんじゃまあ、そういうことで)
がつづまったということになるのでしょうが、

通説とは全然関係ない縄文時代からある古い言葉という可能性もあるかも、と個人的には考えています。

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そうですねえ  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月13日(木)22時07分16秒   返信・引用
  >というと、ジャン・ポール・ベルモンド似ということですよね、笑

写真を見て思いましたが、私の絵にはまだクドさが足りない!

コブラっぽくするためにはもっとくどくしなければ、いや、別に真似する必要はないんだっけ(笑)

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コブラに似ている  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月13日(木)00時59分38秒   返信・引用
  というと、ジャン・ポール・ベルモンド似ということですよね、笑  

なるほど^^;;  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月13日(木)00時55分9秒   返信・引用  編集済
  さすが、勇者ロトさん詳しいですね。

要するに「くだらない」などと同じようなものですから。。。自爆
トンデモ説以上の発見をするのは難しいですよね!!

ちなみに、日本語源大辞典によると、下記のように書いてありました。

別れの挨拶の用法については、「ごきげんよう」「のちほど」などの他の別れの表現と結びついた形で用いられ、次いで近世後期に独立した別れの言葉として一般化した。
 

もちろん  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月12日(水)18時57分44秒   返信・引用
  寺沢先生のようにかっこよくは描けないわけですが(^^;

青年で、大胆不敵で、知能派で、海賊で・・・・
となるとコブラかルパン三世に似た感じになってしまいました。

今、播磨〜瀬戸内大決戦のキャラのデザイン画を描いています。
できあがったらそっちにコピーを送りますね。

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Re: シイネツヒコ  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月12日(水)08時48分37秒   返信・引用
  > No.3504[元記事へ]

べっちゃんさんへのお返事です。

> ロトさんの設定を私なりにイメージしながらデザインしていったら、寺沢武一先生のコブラみたいになってしまったのですが、いいでしょうか(^^;?

コブラですか??

安部さんの絵で寺沢武一のキャラ造形。。。というのは想像がつかないです。

どんな雰囲気なのかな(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

きんたろうさんおひさしぶりです  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月12日(水)08時46分9秒   返信・引用
  さようならの語源というのは古文の時間に習った記憶があります。

「然様(左様)ならば、。。。。。。」という別れや別の行動の行動を起こすきっかけ
となる言葉が省略されて「さらば」とか「さようなら」と使われるようになったという
ことだったと思うのですが(^^ゞ

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

遅れました^^;;  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月12日(水)00時59分50秒   返信・引用  編集済
  安部さんの制作が着々と進んでいるようですね!!
楽しみにしています。

勇者ロトさん、久し振りです。


ところで、「さようなら」という言葉ですが、「去るよ、奈良」から変形したものではないか??とふと思いつきました、笑

要するに、都を後にする時に「さらば!!都よ!!」という意味で使われたはずのものが、去る時に使う一般語に変化したのではないかというものです。
 

奈良  投稿者:きんたろう  投稿日:2008年11月12日(水)00時44分55秒   返信・引用
  に行って来ました。

何度行っても、奈良の風景はこの近くの風景によく似ています、^^;;
 

シイネツヒコ  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 9日(日)20時36分59秒   返信・引用  編集済
  ロトさんの設定を私なりにイメージしながらデザインしていったら、寺沢武一先生のコブラみたいになってしまったのですが、いいでしょうか(^^;?

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ワカヒコのちにホアカリ  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 9日(日)18時07分45秒   返信・引用
  ホアカリとなってのち大きな?仕事をする予定です(^^ゞ

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最近の出雲考古学  投稿者:大和島根  投稿日:2008年11月 9日(日)16時28分3秒   返信・引用
  いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興
されたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸で四隅突出墳丘墓
が作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 西谷は出雲大社に近く、安来は古事記に記されたイザナミの神陵があるので神話との関係にも興味がわいてきます。
 

ワカヒコの苦悩  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 9日(日)10時44分21秒   返信・引用  編集済
   しかしそうすると逃げなかったワカヒコは正真正銘の"へたれ"ということになってしまいます(^^;

 まあ、幼馴染みのタカヒコの前途を台無しにしたくなかったというのと、人質なのに優遇してくれた出雲を裏切りたくないという義理にとらわれてしまったということになるのでしょう。でも現実的にはたいていの人はワカヒコと同じ行動を取りそうです。

 ただし・・・これだと天之日矛を撃退したあとにテルヒメはワカヒコに飽き足りなさを感じるようになるかもしれません。女性としては、国のことや兄弟のことなど脇に置いて、ワカヒコにさらって欲しかったと思うのですよ。

 これのフォローのために、テルヒメ奪還作戦でワカヒコが身の危険を顧みずに戦うシーンを入れたいです。

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大国主の親心  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 9日(日)10時38分34秒   返信・引用
  ふと思ったのですが、

タカヒコの大和入りを支援するために、大国主はテルヒメを吉備の海賊であるアラシトの嫁にやり送り届ける警護をワカヒコに任せますよね。

これって、「その気があるのならそのまま二人で駆け落ちしてもかまわないよ」ということになりませんか?

若い二人を政略の犠牲にしたせめてもの詫びではないのだろうか、そんな風に私は読み取りました。

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私の経験では  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 8日(土)21時09分7秒   返信・引用  編集済
  道は真っ直ぐで舗装されているよりも、多少凸凹があって曲がりくねりがある方が、早く歩けますし疲れません。

尾根道というのは従来の考察では見過ごされているルートですよね。山伏とか行商人による情報伝達のスピードには端倪すべからざるものがあったのではないかと思っています。

まあ尾根道というよりは、正確に言うと一番変曲点が少ない山腹ルートというべきなのかもしれませんが。尾根道といっても、必ずしも山頂を通っているわけではないですよね。
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尾根伝い  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 8日(土)12時42分45秒   返信・引用
  小学生の頃なのですが、尾根伝いに雪彦山というところから播但線の生野駅まで歩いたことがあります。

朝から雪彦山に登り、頂上近くで昼飯を食べ、そこから尾根伝いに生野銀山のある生野までをあるきました。休み休みで夕方すぎには生野駅に到着しました。

当時は生野と雪彦山がどれほど離れているのかわからなかったのですが、車道を走ると遠回りになって約50キロの道のり、車だと小一時間の距離となります。

約50キロの車道を徒歩で行くとすれば約10時間くらいかかりますが、尾根伝いだと距離はわかりませんが五時間くらいの計算となります。歩く速度が尾根伝いでも平地でも一緒だとすると半減することになります。山歩きのベテランの先生が指導したとはいえ小学生の足、それも1クラスで男女も半々、体力もまちまちの集団でその時間で歩けたとすると。。。。

尾根伝いというのは、意外といける移動法なのかもしれませんね(^^ゞ

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こうしてみると  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 8日(土)00時40分0秒   返信・引用  編集済
  馬というのは日本のような山国では不便ですね(^^;

そもそも現代のようにまともな道路が昔はなかったので、軍隊というだけで通ることができるルートはかなり限られてしまう。

以前は城攻めというものの意味が分かりませんでした。「そんなもの無視して、別のルートを通ればいいジャン」と思っていました。けれども、そもそも道が一つしかない場合、敵の城を残しておくと、のちのち補給路が脅かされます。

道などないのが普通、という世界は、車に慣れてしまった私には想像もつかないです。しかし絵にしようとするとその大変さの一端が分かります。
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Re: 加茂の里で  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 7日(金)10時11分33秒   返信・引用
  > No.3493[元記事へ]

べっちゃんさんへのお返事です。

> 「頭が高い!」とカムロノミコトにひっぱたかれて馬から引きずり下ろされますが。じゃあその後はしばらく加茂の里の人達と一緒に徒歩で播磨に向かったということですね。

それでお願いします。ちょっとわかりにくかったですね。

伊和の里で馬と兵を借りるということになっていますので、そこからまた馬が登場します(^^ゞ

実際問題的には出雲平野から熊野、伊和から播磨平野までも中国山地の尾根歩きに負けない険しい道のりなのでそこを馬でさあーっといくというのも現実的ではないのかもしれませんが(^^ゞ

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加茂の里で  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 6日(木)21時55分50秒   返信・引用  編集済
  「頭が高い!」とカムロノミコトにひっぱたかれて馬から引きずり下ろされますが。じゃあその後はしばらく加茂の里の人達と一緒に徒歩で播磨に向かったということですね。

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馬は出雲熊野で下りて  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 6日(木)20時46分20秒   返信・引用
  山道を山の民(出雲の加茂の民)と踏破して宍粟伊和の里で借りるという設定だったのですが。尾根を歩く描写は書いてなかったと思います。

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ちょっと待った  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 6日(木)07時51分34秒   返信・引用
  尾根道では馬をつれて歩けませんよ。

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尾根道でしたか  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 3日(月)21時50分37秒   返信・引用
  ではそのようなカットを入れることにします。

シイネツヒコは、時代考証を無視してヘヴィメタ(死語)みたいな扮装にしましょうか(笑)
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但馬から東  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 3日(月)12時35分42秒   返信・引用
  但馬から東は四隅突出型墳丘墓が途切れる地域なので、無意識に古代出雲王国の境界外として認識していましたので陸路、山間道での出雲地域との交通はなかったと仮定しています。私の小説ではヒボコの最初の根拠地であり、またヒボコは捕らえられることになっていて、放逐される場所として設定しております。

また、この土地にはヒボコを最初に婿に迎えた一族が根を張っていて表面上は越と出雲に挟まれていることもあり出雲の下風にたってはいるが根っこの部分では不穏という設定もあります。

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シイネツヒコ  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 3日(月)12時14分53秒   返信・引用
  シイネツヒコはイリヒコ、タカヒコと同世代ってことでお願いします。

今はやりのレッドクリフにたとえていうと水軍主力の呉の国のはねっ返りの若大将で、かぶきものっていうかちょっと不良っぽくお願いします。最終的にキャスティング・ボートを握る役割なので、若いのに図太い雰囲気、頭は切れるけどイリヒコやタカヒコと違って、無頼な感じがいいかな。

貴公子然としていない、漁や海運の仕事などにも配下の先頭をきってやる肉体派だけど、利益や争いごとの調整能力には長けている。イリヒコ、タカヒコらの中では配下に一番溶け込んでいて慕われている感じ。

ルートとしては、出雲平野の南面の山地、加茂岩倉や荒神谷の山沿いの道を東に熊野から中国山脈にはいってあとは山道を通り大蛇退治で出雲にとっては重要な有名な鳥上山(船通山)を抜け、新見から津山へ。津山から播磨西部千種、佐用へ出て宍粟へという道筋を設定しています。千種は鉄の山地、佐用は播磨のオオナムチが最初に嫁取りをする場所です。一応神話の道筋をなぞっているつもりです。

スサノヲ時代に切り開いた山道を播磨まで。かなり険しく船便を使わないのがミソです(^^ゞ

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ところで勇者ロトさん  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 2日(日)22時46分54秒   返信・引用
  「出雲國譲りの真相」漫画版の第三話の制作に入ったのですが、タカヒコと伊和大神連合軍対天之日矛の戦いの展開を考えているうちに、福知山盆地のことが気になりました。

歴史的には福知山盆地にはどのような勢力が割拠していたのでしょうか。

そしてロトさんの小説ではどのような位置づけとなっているのでしょうか。

それと、伊和大神と合流したと言うことは、タカヒコは因幡國の若桜から戸倉峠を越えて、揖保川流域に入ったと言うことでよろしいでしょうか。素直に考えれば、但馬からはいるべきだと思うのですが、やはりアラシトの勢力圏を避けたのでしょうか。

あとシイネツヒコの年齢がよくわからないのですが、ロトさんの設定では何歳くらいなのでしょう。

第二話では間違えてシイツネヒコと台詞に描いてしまいました。今度出す本では直しとかないといけないですね、すみません(^^;
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そうか常陸國は藤原氏の本貫  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 2日(日)21時37分22秒   返信・引用
  だから風土記も完全に近い形で残ったのかもしれませんね。

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一般に  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 2日(日)12時58分48秒   返信・引用
  「風土記撰進の詔」とされている条文が「続日本記紀」の和銅6年にありますから、
大きなというか国家的なプロジェクトではあったのでしょう。

この命令の直後のものとされるのが現存するものの中では常陸と播磨の和銅風土記です。

現存する出雲、肥前、豊後の各風土記は天平風土記とされています。

この両者の大きな違いは、地理とか施設の細かさの点です。

時期的なものとしては「長屋王の変」の前後とも言い換えられます。

和銅風土記は全国一斉にそれぞれの国の特徴や名産物、土地柄、地名とその由来の報告を命じたものに応じる形の「解」。わさわざ古老に確認することまで命じています。

これに対し、天平風土記は軍事に応用できる地理的な記述が詳細です。

この性格の違いから、現存する出雲風土記は二作目の風土記じゃないかという説もあるようです。

一度、播磨や常陸のものと同じような性格のものを提出したが、再提出させられたのでは
ないかということです。

最初に提出した風土記には記紀に所載の出雲神話と重なる部分が多く、記紀と重なる部分をあえて削除し、記紀に載らない部分を多く記載した。さらには「長屋王の変」によって呼び起こされた内乱への対処としてより緻密な報告が求められたのかもしれません。

出雲は、というか出雲臣(出雲)は長屋王(天孫)に近かったりして。で、長屋王の変後に勢力を磐石にした藤原氏(タケミカヅチ)によって、出雲本国の施設と地理を丸裸にされた。。。。

これが最後の国譲り。。。。

おそまつ(^^ゞ

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 投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 2日(日)11時56分0秒   返信・引用  編集済
  たしか「勘」が諮問で「解」が答申。古代律令制で日常的に使われていた用語だったと思います。

ということは特に特別なプロジェクトではなかったのかもしれないですね。この頃に駅馬制を整備したり、郡を統廃合したりしていますので、住所を整備するための地名の洗い出しくらいの感覚であったのかもしれません。

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風土記という名称  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 2日(日)11時00分43秒   返信・引用
  最初が「解」という形で提出されたものだとすれば、風土記と呼ばれる
ようになったのはいつからなのでしょうね(^^ゞ

現存する「風土記(残欠・逸文を含む)」っていうのは「風土記」の名にふさわしい記述を「解」の中から残したものなのかもしれませんねぇ。

「風土記を編纂した」という意識は作成にあたった地方官人たちにはなかったのでしょうね。

書写されていくうちに風土記の名がつき、その名にふさわしい内容のものだけが残されたのかもしれません(^^ゞ

吉備は備前、備中、備後、美作の四国に分割されますが、それぞれの国の名のついた風土記の逸文は残されています。

また越前、越後、若狭の名のついた風土記逸文も存在しています。

この逸文を列挙したホームページがありました。
下記です。

http://homepage2.nifty.com/toka3aki/geography/fudoki_itsu.html

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

京都の公家が保管していたのですか  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 2日(日)09時46分53秒   返信・引用
  じゃあ応仁の乱がなければもう少し残っていたのかもしれないですね。

あるいは冷泉文庫にはまだいくつか眠っているかも!?

吉備や越も出雲や常陸並みに頑張って報告書を書いたはずだと思うのですが、残っていません。この二つは、積極的に消したのではないかという気がしないでもない(^^;

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風土記  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年11月 2日(日)07時28分14秒   返信・引用
  出雲国風土記って細川藤孝が書写したものだそうですし、豊後風土記は藤孝の家臣が残したもの、播磨風土記は古今伝授など藤孝と縁の深い三条西家に残されていたものです。

常陸はどうなのかな?
 

なるほど報告書  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年11月 1日(土)22時04分27秒   返信・引用
  じゃあ最初から簡単なレポートしか送らなかった国の方が多かったと言うことかもしれませんね。

常陸と出雲が頑張ったのはわかる気がするのですが、播磨と豊後が残ったのはちと不思議ですね。また、備前・備中・備後が残っていないのも不思議です。というか焚書にしたとか?

越前や近江が残っていれば、神功皇后や継体天皇について地元の情報が得られたのにと思います。

こうしてみると、重要でありかつ、皇室とは決定的な繋がりはないところだけ残っているような気がしないでもない。選択的に残したのではというトンでもが私の頭に浮かびました(^^;

http://seisai-kan.cocolog-nifty.com/blog/

 

風土記について  投稿者:勇者ロト  投稿日:2008年10月30日(木)10時26分39秒   返信・引用
  現存しているのを「五風土記」と呼びますが、播磨や常陸を和銅風土記、唯一の完本とされる出雲は天平風土記とよびます。

その他の国の風土記は他文献に部分的に残っていることから「あった」とされています。

下記は地元で親しくさせてもらっている古代史愛好家の方のブログなのですが

「播磨國風土記はなかった」

というタイトルで一文を挙げられております。

http://kounai.at.webry.info/200701/article_1.html

結局、中央からの質問書に対する報告書なわけですから、
最初から「風土記」という書を作成しようとしたわけではなく
不要と思われる報告は抹消されていったのでしょうね(^^ゞ

安部さんと同じように「なかった」(後世の偽書)と考えられている
方々も少なからずいらっしゃるようですし、江戸期の国学流行時や、
平安期などに「逸文が創作」された場合もあるという研究もあるそうです。

http://purple.ap.teacup.com/azisuki/221.html

 

立命館のスポーツ史  投稿者:立命館  投稿日:2008年10月30日(木)09時15分34秒   返信・引用
  立命館のスポーツ史を読み解くなら

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/508/1090738720/

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風土記に感じる疑問  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年10月25日(土)21時36分29秒   返信・引用  編集済
  奈良時代に編纂されたとされる各国の風土記、現存するのは出雲國風土記、常陸國風土記、播磨、豊後の一部しか残っていません。

んで思いつきなのですが、実はまともに作られたのが出雲と常陸と二、三の国だけで、あとは適当だったから残らなかったなんてことはあり得ないのでしょうか。これだけしか残っていないのは最初からなかったからだとした方が早いような、乱暴でしょうか?

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私説公開  投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年 9月19日(金)14時49分2秒   返信・引用
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
 

沙石集を読む(四)・・・薬師観音の利益によって命全きこと  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 8月17日(日)00時56分52秒   返信・引用
  ブログからの転載です。


 当時の武士のあり方がわかる説話です。

 尾張国山田郡に右馬充明長という人がいた。承久の乱のときに京方(後鳥羽上皇側)に参戦して杭瀬川の戦いでおびただしい疵を負って、敵からも止めを刺されて、死んだものと思われて敵方は打ち捨てて京都へ向った。友達が二人いて戦場の近くで落ち延びていたが、夜に入ってから供養しようとして近寄ってみると、ひどい手負いでありながらまだ息があった。そこで肩に引っ掛けて青墓の北の山へ連れて行った。

 多くの疵の中で、喉笛を突き通されたのが一番重かった。「もう助からない、首を斬ってくれ」と明長は頼んだが、それはさすがにかわいそうだと友達は思って連れて歩いていたが、落ち武者狩りが始まり、明方も近くなったのでどうしようもなくなり、大きな木のうろに明長を隠して二人は落ち延びた。

 落ち武者狩りをしている武士は明長の血の痕を追ってそのあたりをうろついていたが、そのうち去ってしまった。その後で鎌倉から来たと言う黒衣を着た僧侶が、草の葉を揉んで食べさせてくれると、腹の中の血が下って明長の身体も軽くなり、気持ちも上向いてきた。

 その僧はいつの間にか消えていた。友達がまた来て、木の中より出した。明長は「僧侶に助けてもらって身体も軽くなった、故郷まで歩いて帰ろう」と言った。しかし、下津の川が増水していて進みかねているうちに、関東に帰参する武士に見咎められて捕縛されてしまった。

 戦死していたはずなのに捕まって恥をさらすのが口惜しく思えて明長は川に身を投げようとした。川岸に歩み寄ると、龍山寺から来たという僧が現れて、「死んではいけない、自害をしてはいけない」と声をかけてくれた。夢かと思ったが現実であった。

 しかし疵も痛むし暑くなってきた。耐え難くなってきたのでやはり身投げしようと川岸によると、また僧が縄を引いて「そんなことをしてはいけない」と制止したので思いとどまった。

 明長は熱田神宮の神官と顔見知りで、「神宮に寄付などして貢献してくれた人だから私達が預かろう」と助けようとしたが、鎌倉方は「それならば名のある人間だろうからなおさら逃がすわけにはいかない」といって許してくれなかった。そして鎌倉まで連行されて北条義時の前に引き出された、すぐに首を刎ねよとなって、湯井の濱(由比ガ浜)に連れて行かれた。

 するとまたあの僧が現れて「悲しむことはないぞ」と言ったが、これでもう最期だと観念して一心に念仏した。

 さて乱橋という橋の袂で、古くからの知音とすれ違い、「これはどうしたことだ」と馬をとめて声をかけてくれた。「杭瀬川で死んでいた身であるが、恥をさらすことになって、首を刎ねられるために濱へ向うところです。最期にお目にかかれて嬉しいです」と明長は言った(言葉遣いからすると明長の元上役で幕府の枢要と思われる)。

 「これは年来の知音である、相模殿(義時)へ頼んで処刑は預かってほしい。」とその武士は書付をくれて、義時の前で助命嘆願までしてくれたので命が助かり、疵の手当てまでしてくれて、故郷で天寿を全うした。喉笛の疵の生で声はしわがれていたという。孫が今も生きている。明長の養子となった人から聞いた話である。

 昔はこのような不思議なこともあったというが、末代の世にこのようなことに出会うとはありがたくめでたいことである。夢に出てくれるだけでもありがたいのに、現実に現れて助けてくれるとは、なんとも尊い利益である。

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 登場人物の行動や心の動きは現代人にも理解しやすいものです。おそらく同郷人と思われる友達は危険な戦場にとどまって明長を助けようと尽力しますし、熱田神宮の神官も信者を助けようと鎌倉方に掛け合ってくれます。

 観音の化身が三度まで自害を制してくれますが、明長もそれに従っています。つまり最後の希望が潰えるまで生き延びるべきであると当時の武士も考えていたことがわかります。

 明長の元上役も、北条義時の機嫌を損ねる危険を冒してまで助命嘆願に付き合ってくれます。当時の人間付き合いが濃厚なものであったことがわかります。

 縁者に会って確かめた、喉の傷跡も残っていたと、無住も架空の話ではないことを強調しています。当時の人も無条件にこういう話を信じていたわけではないこともわかります。八百年前の人たちも、今の私達と同じようなことを考えて生きていたのでしょう。

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いくつかの論文をまとめた本のようで  投稿者:べっちゃん  投稿日:2008年 8月 3日(日)21時23分3秒   返信・引用  編集済
  hn2602さんこんばんは

章によって書いた時期にズレがあるようなのですが、巻末の参考文献の中で外国の文献で最新のものが2001年ですので、その頃までのの研究成果は反映されていると思います。

言語系統樹は2003年のR・D・グレイ(ニュージーランド)の成果が使用されています。

脱稿は2007年の11月だそうです。中央アジア〜インドの民族的起源を探るための学際的なプロジェクトを開きたいと、抱負を述べていました。続報が楽しみですね。

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